あの頃の激情も何もかも薄れてしまって、すっかり健康になった。ご飯が食べられなくなったなんて、あの時が最後だ。わたしがいなくてもきみは生きていけているし、わたしもきみのことを思い出さずに生きていけている。あっけない。まあ、こんなあっけなく終わらせたのも自分なんだから、文句を言える立場ではないとわかっているけれど。きっときみもわたしも、今お互いに向ける感情は無だろうから一周回って仲良くできるのかもしれないな。きみに未練があるというよりは、きみと過ごした時間に未練がある。だって、すごく楽しかった。とても大切だった。大切だ、今でも。懐かしく思い出しては、少しの悼みと共に頭から追い払う。けれどもあの時はそうとしかできなかった。それだけが重要で、必死だった。A太郎は「もう二度と会わない」と言えたけれど、わたしはきっと言えないのだろう。二度と会いたくないひとが増えていくこと。その風味、まさに絶佳だ、と思い出すこと。

 

あの時の、のめり込みと共依存ぐあいを考えると新しいジャンルにハマる熱量をきみに向けていたのかもしれないと思うようになった。ツイッターの更新を逐一ブラウザで張って、ラインの通知が来れば手が震えて。それが異常だったと今なら思う。あれはなんだったんだろう。恋のようなもの、もしくは強迫観念?それらを失って凪いでいる、ことに正も負の感情もない。それでもまだ、いつか会いたいなって思うよ。いつか、あと十年後ぐらいかな。お互いに生きていたらさ。

 

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という下書きを見つけて、また供養するか、という気持ちになった。別れた後は自分の感情を書いて、寝かせて、追記して、整理するしかないのかもしれない。ずっと同じことを繰り返している。

 

今は2023年で、わたしは東京に住んでいて、一人暮らしをして、きちんと職にも就いている。なんと。あの頃からは考えられないところまで来てしまった。かつての自分に伝えても信じてくれないだろうけど、でも、どこかでやりかねないとも思いそうだ。未来はなんとかなると無根拠に思っている、今でもきっと。

 

 

と、続きを書くために昔のツイッター見返してたら嫌になってきた。あの頃、ほんとに楽しかったな。わたしは結局愛されたい人間だから、好意を明確に示した状況で、ある程度振り回してくれるような癖ド真ん中の相手のことを好きにならない訳がないんだよ。好きって言われたら好きになっちゃうよ、チョロいからさあ。今思い返してもあの子の言動を突き放せたと思えない。どうしたって参ってしまう。もう自分のことのようにわかる(自分のことなので)。

 

あの子との楽しかった記憶のピークは友達だった頃だったから、恋と名付けなければそのままでいれたのかもしれないなんて思って、それでも恋じゃなかったと言い切れもしなくて。いまだにわたしはあなたのことを恋人とも親友とも呼べずに、二人称代名詞か名前で呼ぶのがしっくりきてしまう。当時からそうだったし、終わってしまった今でも結論がついていないのが、みっともない。自分のこういうところが、おそらくあの子は嫌いだったろうと思う。でも、いやだからこそ、あの子が「元恋人」と呼称した時に、全部報われた、と思ってしまった。

別れ話をしたのはきみで、きみの話の中では100わたしが悪いことになっていて、でもわたしはお互い50:50で悪かったと思っていて、けれどやっぱり嫌いきれずにいて、それでもこれ以上続けられずにいて。結果どうしようもなくなっていた。友達から付き合って別れたけれど、結局わたしの中ではどちらとも言えない特別枠の人だったから、そんなあなたから見てわたしを示す言葉が元恋人だったことが、本当に嬉しくなってしまった。こんなことで嬉しくなるべきじゃないのはわかってるんだけど。思い出してくれたこと、忘れられていなかったこと、その言葉だったこと。だったら、もう、わたしたちの結末がこれでもいいかと思った。

 

後々境界性パーソナリティ障害の例を見るとあの子に当てはまる面が多々あった。その多くは、初対面はまるで理想像のように人懐っこく振る舞って魅了するが、徐々に相手を振り回すようになるというもので、別れ話も多分脱価値化と呼ばれる現象に当てはまるのだと思う。

ただわたしは、対境界性パーソナリティ障害の人へよく言われてるように、それを「被害」とは呼べない。実際あの子に出会ったことで、良くも悪くも人生は一変した。とっても楽しいことはたくさんあったし、同時に、人生全部ぐちゃぐちゃにもなった。でも今の職だって、多分きみに会っていなければ就かなかった。こうして今楽しく暮らすこともできてなかったかもしれない。だから、側から見た状況は「被害」かもしれないけれど、わたしにとってのきみは「よいもの」だった。優しいのは嘘でも優しくされたのは嘘じゃない、を唱えてる身としてはこうして都合よく生きていくしかないなとも思う。でもまあね、国は傾いてこそだし、人生はめちゃくちゃになってこそだよ。だから認めて、諦めて、許すよ。きみに出会って別れたことについて観念するよ。

 

(と言いつつ別日にツイッターを見たらまた元恋人と言及されていて普通に嬉しくなってしまったので終わりです。でもそれを見た感じ100悪いのはきみ自身だと思ってるみたいだった。そんなことないのに。というかどこまでいってもわたしたち似たもの同士で面白くもなってしまった。趣味は合わないくせにこんなところばかり似ているね。そういうの、懐かしいね)

 

わたしは、愛されたがりで、唯一無二だと思われたくて、忘れられたくない人間なんだと、やっと気付いた。そしてこの性質はどれも受動的なものであり、それに対して恥じていることも気付いた。創作の好みや傾向は、製作者の願望や核である。わたしは唯一無二の二人が好きで、どうしようもない感情を一生抱えて生きる人間が好きで、強い執着と祈りが好きだ。きっと、そこから逃れられない。

だから、わたしは誰かをちゃんと愛したい。大切にしたい。大切にしたいと思える人に出会いたい。もらうことだけを期待して生きていくのをやめたい。能動的に、自分から、誰かを好きになりたい。そういう人生になりたい。

 

あの頃の、自分の心臓まるごと掴み出して俎上に乗せるような独白を、もう一度したくてたまらないんだきっと。愛されたい、愛したい、寄りかかりたい、寄りかかられたい。それらの願望が実った一つの形だったから。感情をちゃんと伝えられたり伝えたりできる関係を、もう一度きちんと作りたい。それが今後の目標。

こんなにも、きちんと恋の終わりを見つめることになるなんて思ってなかった。あったとしてももっと先で、もしかしたらそんなこと起こらないかも、なんて思ってた。思ってたよ。

 

ひとつ前のエントリからちょうど20日後に別れたので、なんだか笑ってしまった。あと、読み返して泣きそうになったけど泣かなかったので、自分の勘もすごい。結局二年と29日。二年一か月になる一日前で、世間様ではキスの日で盛り上がっていた。そんな日に別れるなんてね。なんてあっけない、って思った。二年間もなにしてたんだろうな。時間を重ねても壊れるのは一瞬で、でもわたしたちのは時間を重ねたからこそ崩れたような気もしている。たぶん必然だった。二年も繋げたのに、って思うけど、この先無理して続けてもまた、これだけ一緒にいたのに、って思うんだろうな。ってことに気づいてしまった。この先も一緒にいることと、いつか別れているだろうなということを同じ確かさをもって感じていた時点で終わりだったのかもしれない。それでもわたしはいけるところまでいこうと思っていたけれど、お互いにこの先の未来がジリ貧でいつか崩れると感じてた、ということを言葉にして確認してしまったらもうどうしようもなかった。もう見ないふりはできなくなった。その分相手の方がわたしより、ちゃんと将来について考えていたんだろうなって思う。

 

昨日から体中の空気を抜くようなため息をしている。吸わない深呼吸に近い。あと、ふと思い出しては呻いている。ただの自傷行為じゃんって思う。いま、彼のことを書くならもう元恋人なんだなって思って、元になった実感がわかないけどそれでも心臓が痛くなった。彼は例えば道を歩いてるときとか、電車に乗ってるときとか、時折残像みたいに突然現れて、そのたびにわたしは呻くか息を吐くかしている。そうやってふと元恋人のことを思い出しては、もう触れることも触れられることもないんだなということを考える。わたしがあのくせっ毛をかき回すこともないし、もう彼に電車で横にことが座ってもたれて寝たふりをしてる時に髪を撫でられたりすることもないんだろう。笑った顔も歌ってるところも欲情した目も、もうわたしに向けられることはない。決定的に失われてしまったものに気づいてから、もっと大切にしておけばよかったと思うのは不毛だ。でも今までで一番彼のことを考えてるかもしれない。自分が思っていたより、おそらくわたしは彼のことが好きだった。

 

遠因はいっぱいあって、それは二年の間に積み重なったものだけど、きっかけは自分で言うのもあれだけどバカみたいだ。むしろ笑ってほしい。わたしたちはお互いにオタク同士で付き合っていて、わたしは腐女子、相手はロリ系と百合もいけるよぐらいのオタクで、そういう話ができたというところから一緒に話し始めた。それが最近、彼がある女性声優にハマって。まあ、展開よめそうだよな。わたしも今二次のアイドルにハマってるし人のこと言えないなと思ったし、それぞれに自分の推しを推していければいいなと思ってた。お互いにお互いの好きなものを尊重していけると思ってた。だけど、相手の推し方は自分の思っていたものじゃなかったみたいで。わたしはあくまでファンとしての推しなんだけど、どうやらガチ恋に近いものな感じがした。本人はまだわからないって言ってたけど。

 

なんだそれ!?!?てかどうしようもなくない!?!?これ、圧縮すれば彼氏に他に好きな子ができた~ってことなんだろうけど、さらにややこしいややこしい。別にわたしだって二次元のキャラならぜんっぜん好きになってくれてよかったし、自分も同じことしてるし何も思わなかった。三次元の女の人が対象になった場合でも、ファンとして好きならまだよかった。だけど、同じベクトルの好きって感情で比べられた場合どうしようもなくない!?!?こちとら一般人なんだぞ!?!?三次元・女ってカテゴリーが一致したうえで、感情のベクトルが同じ方向にのってしまっては、わたしとしては単に推してるんだなとは思えなくなってきた。どちらか一方だけならここまで拒否反応出なかった。どうやら、カテゴリとベクトルが一致すると同列の存在に考えてしまうみたいだった。

 

この振られ方ちょっとどうかと思う。いや、きっかけなだけなんだけど、でもどうかと思う。「仕事と私どっちが大事なの!?」的流れを声優はさんでやってるわけでしょ笑うわ。このくだり思い出すと、まだ好きなんだよなあっていうセンチメンタルな感情と、うわマジかそれが二年間の終わりなのかほんとマジで言ってる!?みたいな感情でよくわからなくなって爆発する。他に好きな子できたって言われた方が嫌だけど!まだ話の筋としてはわかるじゃん!なにこれ!好きなひとの趣味を応援するっていうのにも限度がある。わたしは無理でした。だってその声優に向けてる感情は自分に向けてほしい感情とほぼ同じものなんだよ、無理でしょ。それで「その人のことが好きなのは絶対に変わらないから、その点が無理ならこの先付き合い続けていくのはしんどいと思うし、君のためにも別れた方がいい」とかいう話をされた。それに、わたしが一番きつかったのが前日の電話で言われた「今の俺の最優先はそのひとだから」って言われたことだった。そんなの、もう何にも言えないじゃん。最優先はわたしじゃない、なんて、本人にいうなよバカ。ほんとに。せめて言わないでくれればよかったのに。そんなの言われてしまったら、もう終わりじゃないか。常に自分のことを最優先にしてほしいなんて言うタイプじゃないけど、それでも許せるラインってものがある。相手も最近忙しくなっていて、時間が空かないのはわかっていた。それでも最優先じゃなくても少しでもいいからわたしがいればいいと思っていたけど、「君の生活の中にわたしはいる?」って聞いた時に一瞬目を伏せられて「すぐには頷けない」って言われた時に、ああもう終わりなんだなって思った。他に優先するものがあってもいいから、わたしを大切にしてほしいと思ってたよ。でもここまで言われてしまったら続けられない。

 

っていうのがきっかけのところ。でも確かに根本ですれ違ったままで、ここまできてしまっていたから、いつかは崩れていたんだと思う。さっきまでの話だと完全に振られた側なんだけど、でも直接会っていろいろ話したおかげで、「別れた」って思えてる。ほんっとうにきっちりきれいに振ってくれやがって、ありがとう、そういうちゃんとして優しいところがとても好きなんだ。電話やラインで済ませるんじゃなくてちゃんと直接会ってくれたから、ひどく引きずらなくてすんでると思う。嫌いにさせてくれないのは心底ずるいと思うけど。確実にいつか訪れる破綻を感じてたことをお互いに確認しあってしまって、そんな恐れを抱えたまま付き合うのはしんどいから、別れたほうがいいのはわかっていた。でもまだ好きで別れたくなかった。でも、最優先じゃないなんて言われたうえで付き合っていくのは無理だと思った。という感情が混ざった結果、きちんと話して別れることになった。

 

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ここまで書いてずっと下書きにしてあったから、いい加減供養したいなと思って、いま書いている。2019年の5月。あれから一年。最近何してるかはもう知らないな。ツイッター鍵になっちゃったし。前まではブロックしたけどちょくちょく覗いてたんだけどね。ネトスト。

 

なんだろうね。もうだいぶこの文章の前半みたいな激情はなくなってしまって、わたしはすぐに何でも忘れてしまう。ただ、漠然と、そんなこともあったなと思うくらいで。改めて思い返さなきゃ思い出すこともないかもしれない。自分が思っているより好きだったけど、わたしの大切な友達ほどには好きじゃなかったんだろうなっていうのが真実。考えれば考えるほど、わたしも悪かったから怒れないなって思うんだ。本音を見せずに笑ってる人なんて単なる偶像で、それならきちんと作られて美しい偶像の方を選ぶのもまあ仕方ないかなって考えてしまったから、あなただけが悪いなんて言えない。

 

 

彼の、破綻の前に自ら終わらせようとする姿勢を誠実だと思った。好きだった、んだろう。そう書いてある。いまは感情が薄れてしまってよくわからない。別れた男の一番好きだったところが「きちんと別れ話をしてくれたところ」なんだ。本人は保身だって言っていたけれど、感情の名前なんて受け取った方が付けるものだ。優しくなくても、優しくされたのは嘘じゃないもの。もうわたしの人生に関わらない人、ありがとう好きでした。

 

って半年前に〆てたのにね。いや気持ちが変わったんじゃなくて、薄れただけ。あんなに好きだって思ってたのが嘘みたい。嘘かもしれない。 それにあの時の日記を読み返して、もうあんな風に名前を呼べないなって気づいた。あんなに愛おしく、親し気に。自分の甘ったるい感情も思い出して居心地が悪くなる。今のわたしにとっては、あの人であり彼だ。元カレ、とはなんだか呼びにくいのはずっと前から。元恋人が一番近いのかもな。セックスの印象もだいぶなくなってしまって、別れてしばらくは自慰するときも「先輩」って声が聞こえた気がするのに、いまはそんなことない。でもここまで形がなくならないと、他の人と付き合うなんて出来ないような気がする。上手くできてる、世界。

 

でも、特別はいとも簡単に変化してしまうね。なるほど。約束も欲しくなるわけだ。こんな取り留めのないことをこの一年ずっと考えていた。付き合ったのが間違いだったとは言わない。大切だった、好きだった、あの頃の自分なりに。たくさんごめん、ありがとう。さよなら。

前のブログを延々と下書き状態においたままだし、日記も書いてないし、図書館の本も返してないし、〆切を過ぎた小説二本と〆切間近の本があるんだけど、そのどれもしていなくて、一体なんなのだろう。

承認欲求で膨れ上がった自意識に囲まれて身動きが取れないのだ。自分のことは結構好きだけれど最近は割と嫌いだ。よくわからないし、よくわからないまま放っておくところが嫌いだ。誰か代わりに考えてほしいと思ってる。

前にブログを書いたのがほとんど一年前なことに気が付いた。あれを書き終わった後はずいぶんすっきりしたことを覚えている。いままでの10か月間で一体何が変わったのだろう。たぶんなにも変わってないね。悩みも更新されないままで、それは逆に良いことなのかもしれない、と思えてきた。

 

ただ12月の終わりに新しいジャンルにスコンとハマって、一気に毎日が楽しくなった。こういう時オタクでよかったと心底思う。何かを熱烈に好きだと思うことは、楽しい。それほどの熱量(とお金)を注げる対象に出会えたのは幸運だった。できたら6月に初めて同人誌を出してみたいとも思ってる。読んでもらうに値するものが書けるかなんてわからないけれど。形にしてみたい、と思う。わたしは、何かを作ったとしてもそれを発表した後の反応がとても怖くて見れないという完全に創作向きではない性格をしてるので、いまから本として形に残せるのかわからないな、とも思ってる。誘ってくれてるのにごめんね。クリエイターに不向きすぎて将来の職種が不安になる。

 

気分が死んでいるのか生きているのかも、最近あんまりよくわからない。というか、気分が死んでいてもジャンルのツイッター更新で強制的にテンションが上がるからなんだけど。恋人とはまだ付き合っていて、この間二年が経った。はやいな、と思う。一年が経ったときに「もう一年か早いね」って言ったら「一年間続くと思ってなかった?」って返されて「続くって思っていたら、もしそうじゃなかった時にダメージが大きいから考えなかった」って会話したのを今でも覚えてる。今年はどうだろう。正直、どこかで、大丈夫だと思っていた。慢心、怠惰、なんとでも言え。どうせずっと愛されていると思っていたんだ、は自戒だってなんども言ってるくせに。

 

ああそうだ、どうせずっと愛されてるって思ってしまっている。それがとてもこわい。自分から積極的に愛してるというそぶりを見せないで、与えられるものばかり甘受して。そもそも愛してるって何なのか二年が経った今でもまだわかってないのに。愛してるって言ったことないの。これだけ一緒にいたはずなのにね。彼は気づいているんだろうか。でも自分でもよくわからない。愛してるって何?わたしだって恋人のこと好きだし大好きだと思ってるけど、それだけが言えない。言われたことはある。その時はそんな簡単に愛してるって言わないでって思ったのを覚えている。つまりは重く捉え過ぎなのかな。でもよく言われる、恋は有償で愛は無償とか、相手の幸せを願うことが愛だとかそんなのを聞いてると、わたしのこれは愛じゃないなって思ってしまう。そこまでの深い感情じゃないんだ。もっとあっさりとしたもので、ごめん同じ質量を返せていないね。というかわたしは本当に誰かを愛したことがある?愛ってなんなのかよくわからない。そんなよくわからない言葉で誓いなんてできっこないよ。それでも、手放せないって思ってしまうのはただのわがままだ。傲慢でごめん、もっとわかりやすくてめんどくさくない人は他にもいると思う。でも手を離さないでいてほしい。ごめん。だってこの二年で慣れてしまったんだ。わたしを見るその目も、優しく髪を撫でるその手も、いつもするキスも。なくしてしまいたくない。でも時々、本当に時々、なにもかもなくして台無しにしたくなるときがある。慣れてしまったからこそこれまで過ごした時間が重たくなる。全部台無しにして終わらせて、ひとりで泣くんだ。そして、君がひきずって苦しんでくれればいいのになんて考えている。

 

この先も一緒にいると確かに思えるのに、同じくらいの確かさを持っていつか別れるんだろうなと思ってる。どちらも限りなくリアルな将来で、ひとつの間違いもない本音だ。誰にも言えないし、別れたくないなと今は思うけど。だってわたしは別れたらピアスを開けるって決めてる。こんなの付き合ってる時に考えることじゃない気がする。それに前から考えてる香水も、結局別れたあとにその香りを嗅いでわたしを思い出せばいいって思ってる。君の人生に残らせてほしい、いつか別れてしまうとしても。とか、考えて、重いなって思う。自分の好きな香りかつ恋人の好きな香りをわたしが身に着けるのは、どちらも独占欲が満たせそうだし。それに女物の香水の匂いがするってのは軽いマーキングだしマウントでしょ。それくらい取らせてほしいって思う。こんなどろどろした感情は持ってるのに愛してるって言えないの難儀だなあ自分。つくづくめんどくさい。だから、いまは基本的に感情を保留状態にしてあって、何か未来のことを決めないといけなくなった時にどうなるか自分でも読めない。未来のことなんて考えたくない。でもそろそろ考えないといけなくなってきた。いやだなあ。もしも、この先もずっと一緒にいて、この関係性の名前を変えるなんて覚悟は、まだできてない。その覚悟もないくせに隣にはいたいと思ってるし、手放したくないって考えてる。なんにもちゃんとできてないね、わたし。

 

というようなことを、わたしは本人に伝えていないし、うまく伝えられる気もしない。死後に読んでこんなこと考えてたんだって知って、ちょっと泣いてほしいかな。ずるいね。わたしの預かり知らないところで知ってほしい、と思ってしまうんだ。それこそ最初に言ったように自分の言葉に対する反応を知りたくない。でも言葉にしないと伝わらないのもわかってるから。キスやセックスでわかることなんてたかが知れてるでしょうに伝えた気にならないで、も自戒なんだよ。

 

こんな文章、別れたあとに読んだら黒歴史間違いなしだし、わたしのことだから読み返して泣きそうになるだろうな。たぶん泣きはしないけど。来年はどうなってるのかな。同じようなことで悩める幸運の中にいるんだろうか。いたら、いいな。

ノクチルカの祭り

学校の帰り、乗換駅の日本橋でやけに浴衣の女の人を見かけた。何か今日は祭りがあるのかと思ったけど、それが天神祭だってことを構内のチラシで確認してしまって、途端に家に帰れなくなった。このまま電車に乗って帰ると死にそうだと思った。わたしは、自分で言うのもなんだけど、自分の死にたいゲージがどれくらいかを見分けるのがうまい。今回のは結構ダメなやつで、最近の悩みとかがぜんぶ一気に溢れたタイプのやつだった。こういう場合はいつものルーチンをこなすことができないので(というかそれが一番しんどい)とりあえず何か探しに地上にでた。

地上にでて目の前を見た瞬間、横断歩道の向かいに今話題のサイゼリヤがあって、これは行くしかないと思った。物心ついてからサイゼリヤに行った記憶がなくて、どんなものなのかちゃんと知ってみたかったし、あと長時間居座れそうだと思ったからだ。といっても、あとから考えてると理由が思い浮かぶけど、あの時のわたしはただの反射だった。周りにネカフェとかもあったのに。

自分の機嫌の取り方、というかゲージの上げ方はとても簡単で、大概なにか食べると機嫌を直す。または、カラオケに行くか、本を買うか、という感じ。なんて単純。なんてぽんこつなわたしの精神。そういうところ嫌いじゃないぜ、といまのうちに調子に乗らせておく。そしてそんなわたしの機嫌は、サイゼリヤについたとたん結構持ち直した。現金なやつめ。

通された席は、一人に対し四人掛けで少し手持無沙汰だった。隣の席では、大学生と就活生らしきカップルがいちゃついていた。わたしもこんな人前でいちゃつける(もしくはかわいこぶれる)性格だったならよかったのになあ、と思った。恋人がかわいいと思ってくれる行動をわたしは予測してやっている節があり、素のまま彼氏受け満点みたいな行動をとれる隣の女子大生をちょっと尊敬した。ここがファミレスでなければもっとよかった。

メニューは迷ってカルボナーラにした。あと贅沢してドリンクバーを頼んだ。こういう時は鬱期控除として別予算があるので、奮発してもオーケーだということにしている。カルボナーラはべちょっとしていて重たくて、わたしはカルボナーラが苦手だということに初めて気づいた。確かに自分からあまり頼まないメニューだし、ちゃんと食べたことなかったから知らなかった。それか昔に食べて、避けてたのを知らなかったのかもしれない。とにかく、口直ししようとドリンクバーに行って、トニックウォーターがあるのに感激してオレンジジュースを割って遊んだ。苦くなっておいしかった。

それからきちんとスマホの電源を落として、日記を書くことにした。正確には、サボりまくって空いてる日記のページにつらつらといま考えていることを書いた。一年と三か月付き合っている恋人がいて、まあ世間一般にいう倦怠期ってやつで、でも倦怠期なのはわたしだけかもしれなくて、あれ、わたしは本当に恋人のことが好きなんだろうか、ということをとりとめもなく書いた。そもそも悩みの遠因はそこだったし、直接には祭りのチラシを見たときに、まっさきに恋人と行きたいと思わず一人で行きたいと思ったことだった。恋人は前と変わった様子もないし、それどころか「きみの好きなものも嫌いなものも全部知りたい」と言う。わたしはそれをされると死ぬなあ、と思いながら聞いていた。たぶん肉体的なパーソナルスペースは狭いけど、精神的なパーソナルスペースはかなり広いんだと思う。自分の領域がないと確実に息ができない。ということを、まあ恋人は口説き文句的に言うわけだし、甘い空気な中でこんなこと言うと雰囲気ぶち壊しだし思って順当に返事したのが、いまになって返ってきてるのかということも書いた。わたしだってできるなら恋愛脳でいたいし、本音で素直に返事した言葉が雰囲気を壊さないような女子でいたかった。と書きつつ、実際は恋愛脳スイーツ系女子を見下してるんだから、あー救えねーなと思う。最終的な結論はいつもと同じ、もっとちゃんと本音で喋ろう、みたいな机上の空論だった。

わたしは、ひとに本音を話すのがとことん苦手である。大抵言えないか、言っても途中で茶化したりしてしまう。そんな人に全部教えてと要求することはかなり酷だと思うけど、その酷だと思ってるということ自体を伝えられないので、どうしようもない。この文章だって、友達もしくは恋人に言おうとして言えなかったことオンパレードだし。インターネットの存在する世界万歳。なぜなのかは自分でもよくわからない。ただ、改まって本音なり悩みを相談しようとすると口が開かなくなる。自分が長女だからかと推測するけど、それだけじゃない気はする。一年以上経っても他の人に惚気話をすることができないし、ましてや恋愛相談なんてしたこともない。そういうのが得意な人は心を開いてるように感じられるから羨ましい、と思う。それに、紙に書くことですっきりして言わなきゃいけない人に言わないのも、悪癖だと思う。

結局、わたしはシンデレラコンプレックスのようにだれかがわたしの本音を察してくれるという幻想に浸ってるし、いつまでも漫画のモノローグに憧れている。そのことを自覚したうえで改善できない自分を自嘲するところで、文字を書く手を止めることが多い。今日もそうで、そこまで書いて、わたしは店を出た。書いた内容はあれだけど、書くとすっきりしたのでだいぶ気分はマシだった。だから、駅周辺だけふらついてもう帰るつもりだった。お供はmajikoの「ノクチルカの夜」で、please rescue me from hereとか口ずさみながら歩いていた。この曲は最近のお気に入りで、MVに出演している瀬戸かほさんがとても好きで聴き始めた。やる気が出ない夜に聴くと救われる曲。今日みたいな日にぴったりだった。

ちょうど曲が終わったところでキリよく横断歩道を見つけて、わたしは引き返そうとした。そのとき、イヤホンを外した耳に、どこからか太鼓の音が聞こえてきた。土地勘がないわたしは、気づいたら道頓堀の橋の近くにいて、その堀を太鼓と漕ぎ手の青年たちを乗せた船が進んで行った。サイゼリヤにいた二時間で祭りのことをすっかり忘れていたうえに、まさかこのあたりまで祭りが来るとは思っていなくて、本当に驚いた。そして不意打ちの祭りの陽気になんだかうれしくなってしまった。偶然行き合った祭りの方が、期待もない分良く見えたのかもしれない。人が多いし、ネオンはピカピカ光ってるし、なによりみんな楽しそうだった。わたしもつられて機嫌が良くなって(お腹いっぱいだったのもあって)自分の単純さを楽しもうと思った。花火はとうの昔に終わっていて親子連れや子どもはおらず、そこは大人の街で大人の時間だった。こっそり紛れた大人が多い都会の祭りは、とてもとても明るく楽しそうに見えた。お酒がこれほど飲みたいと思ったことはなかった。

わたしはずんずん道頓堀沿いを歩いて行って、飲み屋の看板に憧れたり、行き交う人を眺めたり、ドンキホーテに入ったりした。ドンキホーテは中国人でいっぱいだった。横に立っていた中国人はたこ焼き片手に祭りを満喫していて、わたしもたこ焼きを食べたくなった。お腹いっぱいで無理だったけど。特に、途中の橋の上でアコーディオンを弾いている女の人がいたのにはキュンとした。最高かよと思った。ありがとう都会の祭り。近くにサラリーマンらしい人が二人ほどいたけど、もちろん話しかける勇気なんかなくて、遠巻きのギャラリーのひとりとして夜の音色を聴いていた。せめて対等に見えるくらいまで成長したら、話しかけられるような気がする。

ふと周りを見ると、あの有名なグリコの看板のところまで来ていて、気づけば日本橋から難波の近くまでほぼ一駅分くらい余裕で歩いていた。グリコの人は夜も爽やかに、ピカピカとゴール姿を決めていた。そこは一際人が多くて、記念写真を撮っている人ばかりだった。このグリコの人は昼も夜も変わらずこの姿で立って、写真をひたすら取られているんだなと思うとどうしようもなく笑えてきて、わたしもただの観光客みたいに写真を撮った。彼は写真写りも良くてさらに笑えた。

そのまま愉快なテンションで難波駅まで行って、陽気な気分のまま家に帰った。わたしがいたのはただの平日の街中じゃなかった。特別な平日の街中だった。それに出会えたラッキーで、これまでのしんどさも全部許せる気がした。都会の祭りと、わたしのぽんこつな精神に感謝しようと思う。