ノクチルカの祭り

学校の帰り、乗換駅の日本橋でやけに浴衣の女の人を見かけた。何か今日は祭りがあるのかと思ったけど、それが天神祭だってことを構内のチラシで確認してしまって、途端に家に帰れなくなった。このまま電車に乗って帰ると死にそうだと思った。わたしは、自分で言うのもなんだけど、自分の死にたいゲージがどれくらいかを見分けるのがうまい。今回のは結構ダメなやつで、最近の悩みとかがぜんぶ一気に溢れたタイプのやつだった。こういう場合はいつものルーチンをこなすことができないので(というかそれが一番しんどい)とりあえず何か探しに地上にでた。

地上にでて目の前を見た瞬間、横断歩道の向かいに今話題のサイゼリヤがあって、これは行くしかないと思った。物心ついてからサイゼリヤに行った記憶がなくて、どんなものなのかちゃんと知ってみたかったし、あと長時間居座れそうだと思ったからだ。といっても、あとから考えてると理由が思い浮かぶけど、あの時のわたしはただの反射だった。周りにネカフェとかもあったのに。

自分の機嫌の取り方、というかゲージの上げ方はとても簡単で、大概なにか食べると機嫌を直す。または、カラオケに行くか、本を買うか、という感じ。なんて単純。なんてぽんこつなわたしの精神。そういうところ嫌いじゃないぜ、といまのうちに調子に乗らせておく。そしてそんなわたしの機嫌は、サイゼリヤについたとたん結構持ち直した。現金なやつめ。

通された席は、一人に対し四人掛けで少し手持無沙汰だった。隣の席では、大学生と就活生らしきカップルがいちゃついていた。わたしもこんな人前でいちゃつける(もしくはかわいこぶれる)性格だったならよかったのになあ、と思った。恋人がかわいいと思ってくれる行動をわたしは予測してやっている節があり、素のまま彼氏受け満点みたいな行動をとれる隣の女子大生をちょっと尊敬した。ここがファミレスでなければもっとよかった。

メニューは迷ってカルボナーラにした。あと贅沢してドリンクバーを頼んだ。こういう時は鬱期控除として別予算があるので、奮発してもオーケーだということにしている。カルボナーラはべちょっとしていて重たくて、わたしはカルボナーラが苦手だということに初めて気づいた。確かに自分からあまり頼まないメニューだし、ちゃんと食べたことなかったから知らなかった。それか昔に食べて、避けてたのを知らなかったのかもしれない。とにかく、口直ししようとドリンクバーに行って、トニックウォーターがあるのに感激してオレンジジュースを割って遊んだ。苦くなっておいしかった。

それからきちんとスマホの電源を落として、日記を書くことにした。正確には、サボりまくって空いてる日記のページにつらつらといま考えていることを書いた。一年と三か月付き合っている恋人がいて、まあ世間一般にいう倦怠期ってやつで、でも倦怠期なのはわたしだけかもしれなくて、あれ、わたしは本当に恋人のことが好きなんだろうか、ということをとりとめもなく書いた。そもそも悩みの遠因はそこだったし、直接には祭りのチラシを見たときに、まっさきに恋人と行きたいと思わず一人で行きたいと思ったことだった。恋人は前と変わった様子もないし、それどころか「きみの好きなものも嫌いなものも全部知りたい」と言う。わたしはそれをされると死ぬなあ、と思いながら聞いていた。たぶん肉体的なパーソナルスペースは狭いけど、精神的なパーソナルスペースはかなり広いんだと思う。自分の領域がないと確実に息ができない。ということを、まあ恋人は口説き文句的に言うわけだし、甘い空気な中でこんなこと言うと雰囲気ぶち壊しだし思って順当に返事したのが、いまになって返ってきてるのかということも書いた。わたしだってできるなら恋愛脳でいたいし、本音で素直に返事した言葉が雰囲気を壊さないような女子でいたかった。と書きつつ、実際は恋愛脳スイーツ系女子を見下してるんだから、あー救えねーなと思う。最終的な結論はいつもと同じ、もっとちゃんと本音で喋ろう、みたいな机上の空論だった。

わたしは、ひとに本音を話すのがとことん苦手である。大抵言えないか、言っても途中で茶化したりしてしまう。そんな人に全部教えてと要求することはかなり酷だと思うけど、その酷だと思ってるということ自体を伝えられないので、どうしようもない。この文章だって、友達もしくは恋人に言おうとして言えなかったことオンパレードだし。インターネットの存在する世界万歳。なぜなのかは自分でもよくわからない。ただ、改まって本音なり悩みを相談しようとすると口が開かなくなる。自分が長女だからかと推測するけど、それだけじゃない気はする。一年以上経っても他の人に惚気話をすることができないし、ましてや恋愛相談なんてしたこともない。そういうのが得意な人は心を開いてるように感じられるから羨ましい、と思う。それに、紙に書くことですっきりして言わなきゃいけない人に言わないのも、悪癖だと思う。

結局、わたしはシンデレラコンプレックスのようにだれかがわたしの本音を察してくれるという幻想に浸ってるし、いつまでも漫画のモノローグに憧れている。そのことを自覚したうえで改善できない自分を自嘲するところで、文字を書く手を止めることが多い。今日もそうで、そこまで書いて、わたしは店を出た。書いた内容はあれだけど、書くとすっきりしたのでだいぶ気分はマシだった。だから、駅周辺だけふらついてもう帰るつもりだった。お供はmajikoの「ノクチルカの夜」で、please rescue me from hereとか口ずさみながら歩いていた。この曲は最近のお気に入りで、MVに出演している瀬戸かほさんがとても好きで聴き始めた。やる気が出ない夜に聴くと救われる曲。今日みたいな日にぴったりだった。

ちょうど曲が終わったところでキリよく横断歩道を見つけて、わたしは引き返そうとした。そのとき、イヤホンを外した耳に、どこからか太鼓の音が聞こえてきた。土地勘がないわたしは、気づいたら道頓堀の橋の近くにいて、その堀を太鼓と漕ぎ手の青年たちを乗せた船が進んで行った。サイゼリヤにいた二時間で祭りのことをすっかり忘れていたうえに、まさかこのあたりまで祭りが来るとは思っていなくて、本当に驚いた。そして不意打ちの祭りの陽気になんだかうれしくなってしまった。偶然行き合った祭りの方が、期待もない分良く見えたのかもしれない。人が多いし、ネオンはピカピカ光ってるし、なによりみんな楽しそうだった。わたしもつられて機嫌が良くなって(お腹いっぱいだったのもあって)自分の単純さを楽しもうと思った。花火はとうの昔に終わっていて親子連れや子どもはおらず、そこは大人の街で大人の時間だった。こっそり紛れた大人が多い都会の祭りは、とてもとても明るく楽しそうに見えた。お酒がこれほど飲みたいと思ったことはなかった。

わたしはずんずん道頓堀沿いを歩いて行って、飲み屋の看板に憧れたり、行き交う人を眺めたり、ドンキホーテに入ったりした。ドンキホーテは中国人でいっぱいだった。横に立っていた中国人はたこ焼き片手に祭りを満喫していて、わたしもたこ焼きを食べたくなった。お腹いっぱいで無理だったけど。特に、途中の橋の上でアコーディオンを弾いている女の人がいたのにはキュンとした。最高かよと思った。ありがとう都会の祭り。近くにサラリーマンらしい人が二人ほどいたけど、もちろん話しかける勇気なんかなくて、遠巻きのギャラリーのひとりとして夜の音色を聴いていた。せめて対等に見えるくらいまで成長したら、話しかけられるような気がする。

ふと周りを見ると、あの有名なグリコの看板のところまで来ていて、気づけば日本橋から難波の近くまでほぼ一駅分くらい余裕で歩いていた。グリコの人は夜も爽やかに、ピカピカとゴール姿を決めていた。そこは一際人が多くて、記念写真を撮っている人ばかりだった。このグリコの人は昼も夜も変わらずこの姿で立って、写真をひたすら取られているんだなと思うとどうしようもなく笑えてきて、わたしもただの観光客みたいに写真を撮った。彼は写真写りも良くてさらに笑えた。

そのまま愉快なテンションで難波駅まで行って、陽気な気分のまま家に帰った。わたしがいたのはただの平日の街中じゃなかった。特別な平日の街中だった。それに出会えたラッキーで、これまでのしんどさも全部許せる気がした。都会の祭りと、わたしのぽんこつな精神に感謝しようと思う。